目次
思想・良心の自由
保障の範囲
19条は思想・良心の自由を保障している。思想・良心の自由とは、人が何を考え、何か思うかについて他人から干渉されない自由である。
思想・良心の自由が認められる結果、国家が、国民の思想に基づく差別をすること、特定の思想を持つことを強制すること、及び国民の思想を表明させることが禁止される。
もっとも、「思想・良心」とは人の内面すべてを指すのではなく、個人の人格形成に必要なものか、またはそれに関連するものであると解されている。「個人の人格形成に必要なもの」とは、個人の人生観や世界観などである。
謝罪広告事件(最大判昭和31年7月4日)
事案
選挙活動において、YがXの名誉を棄損するような発言をした。そこで、XがYに対し、民法723条に基づき新聞での謝罪広告掲載等を請求した事案である。
この事案では、裁判所が民法723条の「適当な処分」として、新聞に謝罪広告を掲載することを命ずることは、19条に反するか争われた。
民法第723条 他人の名誉を毀損した者に対しては、裁判所は、被害者の請求により、損害賠償に代えて、又は損害賠償とともに、名誉を回復するのに適当な処分を命ずることができる。
判旨
判例は、「単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するに止まる程度のもの」であれば謝罪広告を命ずることは19条に反しないとした。
【関連判例】
- 「君が代」ピアノ伴奏職務命令拒否事件(最判平成19年2月27日)
- 「君が代」起立斉唱職務命令拒否事件(最判平成23年5月30日)
信教の自由
内容
20条は信教の自由を保障している。信教の自由は次のものから構成される。
- 信仰の自由
- 宗教的行為の自由
- 宗教的結社の自由
信仰の自由
信仰の自由とは、好きな宗教を信じる自由及び宗教を信じない自由である。
宗教的行為の自由
宗教的行為の自由とは、宗教上の儀式・行事を任意に行う自由及びそれらへの参加を強制されない自由である。
宗教的結社の自由
宗教的結社の自由とは、宗教を宣伝したり、宗教的行為を行ったりする団体を結成する自由である。
宗教法人オウム真理教解散命令事件(最決平成8年1月30日)
事案
信教の自由に関する判例には、宗教法人オウム真理教解散命令事件(最決平成8年1月30日)がある。この事件では、宗教法人法の規定に基づく宗教法人の解散命令が憲法20条1項に違反しないか争われた。
判旨
「宗教法人の解散命令の制度は、・・・宗教団体や信者の精神的・宗教的側面に容かいする意図によるものではなく、その制度の目的も合理的である」。「解散命令によって・・・信者らが行う宗教上の行為に何らかの支障を生ずる・・・としても、その支障は、解散命令に伴う間接的で事実上のものであるにとどまる。」
※「容かい」とは、口出しすることである。
解説
この事件は、宗教法人法の規定に基づいて宗教法人を解散させられた団体が、信教の自由の侵害を主張したものである。しかし、宗教法人が解散しても、宗教法人としての恩恵が受けられないだけで、宗教上の行為や集まりが禁止されるわけではない。よって、本件解散命令は信教の自由に反しないと解される。
政教分離
制度的保障
20条1項後段は、宗教団体が国から特権を受けること及び宗教団体が政治上の権力行使をすることを禁止している。また、20条3項は国が宗教的活動等をすることを禁止している。さらに、89条前段は宗教団体に公金等を支出すること禁止している。
これらの規定から、国家と宗教の関わりをさけようとする憲法の趣旨が伺える。この憲法の規定の趣旨は、国家と宗教の分離を制度として保障することで、信教の自由の強化を図ったものであると解されている(津地鎮祭事件/最大判昭和52年7月13日)。また、国家と宗教を分離することを「政教分離」という。
これらを言い換えれば、憲法は、信教の自由の強化という目的のために、政教分離という制度を保障しているということである。このように、ある目的を達するため、ある制度を保障することを制度的保障という。
なお、政教分離を制度的保障と解すれば、国民は政教分離違反の事実だけをもって司法権の審査を求めることは原則できない。なぜなら、司法権とは、法律上の争訟を裁定する国家作用であるところ、政教分離違反の事実だけでは国民に具体的な人権侵害があったと言えず、法律上の争訟に当たらないからである。
※「法律上の争訟」については後の講義で説明する。ここでは、制度的保障の意味について完璧に理解できなくてもよい。
目的・効果基準
政教分離により、国家と宗教の関わりを一切禁止することは困難である。例えば、国家と宗教の関わりを一切禁止にすると、宗教系の私立大学への助成金の交付や公営保育園でのクリスマス会はできないことになる。
そこで、政教分離違反が争われた場合には、どこまで国家と宗教の関わりが許されるかが問題となる。
判例は、津地鎮祭事件(最大判昭和52年7月13日)において、20条3項の「宗教的活動」を次のように定義した。
「宗教的活動とは、・・・国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いをもつすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが・・・相当とされる限度を超えるものに限られる」。具体的には、宗教的活動とは、「行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。」
なお、津地鎮祭事件(最大判昭和52年7月13日)は、地鎮祭への公金支出が、「宗教的活動」にあたるかが争われた事案である。判例は地鎮祭は「専ら世俗的なものと認められ、その効果は神道を援助、助長、促進し又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるものとは認められない」として、「宗教的活動」にあたらず、20条3項に違反しないとした。
また、判例がこの事件において示した、「宗教的活動」にあたるか否かを判断するための基準を、目的・効果基準という。
【関連判例】
- 愛媛玉串料訴訟(最大判平成9年4月2日)
- 箕面(みのお)忠魂碑(ちゅうこんひ)事件(最判平成5年2月16日)
総合考慮基準
津地鎮祭事件(最大判昭和52年7月13日)において判例は目的・効果基準を採用していたが、その後の空知太(そらちぶと)神社政教分離訴訟(最大判平成22年1月20日)において判例は、次の総合考慮基準を採用した。
憲法89条においては、「公の財産の利用提供等における宗教とのかかわり合いが、我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものと認められる場合に、これを許さないとするものと解される。」「相当とされる限度を超えて憲法89条に違反するか否かを判断するに当たっては、当該宗教的施設の性格、当該土地が無償で当該施設の敷地としての用に供されるに至った経緯、当該無償提供の態様、これらに対する一般人の評価等、諸般の事情を考慮し、社会通念に照らして総合的に判断すべき」である。
なお、空知太(そらちぶと)神社政教分離訴訟(最大判平成22年1月20日)では、市が市有地を無償で神社施設の敷地として使用させている行為が憲法20条1項後段、89条に違反するかが争われた事例である。判例は、市と本件神社とのかかわり合いが、相当とされる限度を超えるとして、当該行為を憲法20条1項後段、89条に違反するとした。
【関連判例】
- 富平神社訴訟(最判平成5年2月16日)
学問の自由
意義
23条で学問の自由が保障されている。学問を究めることは時には国家や政府への批判をすることにもなるので、そのような学問は国家権力から妨害される恐れがある。そして、学問研究が妨害されれば、その学問の発展が妨げられる。事実、過去には国家権力によって研究やその発表が禁止されたことがある。
学問の自由は次のものから構成される。
- 学問研究の自由
- 学問研究成果の発表の自由
- 教授の自由
大学の自治
大学の自治とは、大学内部の問題は大学内部で解決し、外部は干渉しないという考えである。大学の自治を認めることで、学問の自由が保障される。
また、大学の自治について憲法の条文上に根拠はないが、学問の自由を保障するうえで当然の決まり事であると解されている。すなわち、憲法は、学問の自由の強化という目的のために、大学の自治という制度を保障していると解される(制度的保障)。
東大ポポロ事件(最大判昭和38年5月22日)
事案
「ポポロ劇団」という大学の学生団体主催の演劇発表会(本件集会)に、私服警官が混じっていたところ、学生がその警官に暴行を加え、起訴された事案である。
判旨
「学問の自由は、学問的研究の自由とその研究結果の発表の自由とを含むものであつて、・・・教育ないし教授の自由は、・・・必ずしもこれに含まれるものではない。 しかし、・・・大学において教授その他の研究者がその専門の研究の結果を教授する自由は、これを保障されると解する」。「大学の学問の自由と自治は、・・・直接には教授その他の研究者の研究、その結果の発表、研究結果の教授の自由とこれらを保障するための自治とを意味すると解される。」「大学の学生として・・・学問の自由を享有し、また大学当局の自冶的管理による施設を利用できるのは、大学の本質に基づき、大学の教授その他の研究者の有する特別な学問の自由と自治の効果としてである。」「本件集会は、真に学問的な研究と発表のためのものでなく、実社会の政治的社会的活動であり、かつ公開の集会またはこれに準じるものであつて、大学の学問の自由と自治は、これを享有しない」。
解説
判例は、大学生に、学問の自由と大学の自治による保障が直接及ぶわけではなく、教授等にそれらが保障される効果として反射的に及んでいるにすぎないとした。また、本件集会は学問研究のためのものでなく、政治的社会的活動であるから、学問の自由及び大学の自治の保障外であるとした。
【関連判例】
- 旭川学テ事件(最判昭和51年5月21日)