スポンサーリンク

憲法基本書

憲法6(表現の自由)

表現の自由

意義

21条1項は表現の自由を保障している。ところで、19条は思想・良心の自由を保障しているが、内心の思想や価値観は外部に表明することで、より重要な意味を持つことになる。よって、思想や価値観を外部に表明する自由を保障することも重要である。これが表現の自由が保障される意義である。

表現の自由には、自己実現の価値と自己統治の価値があるとされている。自己実現の価値とは、個人が言論活動を通じて自己の人格を発展させる個人的な価値である。自己統治の価値とは、国民が言論活動により政治的意思決定に関与するという、民主政治に資する社会的な価値である。

内容

表現の自由には、次のものがある。

集会の自由

集会とは、多数人(たすうじん)が一定の場所に一時的に集まることを指す。

結社の自由

結社とは、多数人が共同目的のために継続的に集まることを指す。

言論・出版の自由

言論・出版の自由とは、テレビ、書籍、演劇、絵画、写真、作品などを通じて、思想や価値観を発信する自由である。

表現の自由に関する判例

東京都公安条例事件(最大判昭和35年7月20日)

事案

この事案では、公安条例において、集団行進(デモ行進等)を行うには許可を必要することが21条1項に違反するか争われた。

判旨

「集団行動には、表現の自由として憲法によつて保障さるべき要素が存在する」しかし、「集団行動による思想等の表現は、・・・多数人の集合体自体の力、つまり潜在する一種の物理的力によつて支持されていることを特徴とする。・・・平穏静粛な集団であつても、時に昂奮、激昂の渦中に巻きこまれ、甚だしい場合には一瞬にして暴徒と化し、勢いの赴くところ実力によつて法と秩序を蹂躪し、集団行動の指揮者はもちろん警察力を以てしても如何ともし得ないような事態に発展する危険が存在する」。よって、「法と秩序を維持するに必要かつ最小限度の措置を事前に講ずることは、けだし止むを得ない」。

「集団行動に関しては、公安委員会の許可が要求されている」。「しかし公安委員会は集団行動の実施が「公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合」の外はこれを許可しなければならない」。となっているので、原則「許可が義務づけられており、不許可の場合が厳格に制限されている。従つて本条例は規定の文面上では許可制を採用しているが、この許可制はその実質において届出制とことなるところがない。」

解説

判例のおおまかな内容は下記のとおりである。

集団行動には表現の自由として保障される要素がある。しかし、集団行動は時として危険な状況を招く恐れがあるので、必要最小限度の規制は許される。そして、本件条例は名目上は許可制だが、実質は届出制であるから、規制態様が強くない。よって、本件条例は必要最小限度の規制と言える。

※一般的に、届出は許可より要件が緩い。「許可」と「届出」は行政法で学習するものである。

泉佐野市民会館事件(最判平成7年3月7日)

事案

市民会館の集会利用申請に対し、条例で規定する「公の秩序をみだすおそれがある場合」にあたることを理由に拒否処分がなされた事案である。そして、この拒否処分が21条に違反するかが争われた。

判旨

「公の秩序をみだすおそれがある場合」とは、「本件会館における集会の自由を保障することの重要性よりも、本件会館で集会が開かれることによって、人の生命、身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危険を回避し、防止することの必要性が優越する場合をいう」。「その危険性の程度としては、・・・単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要である」。「このような規制は、他の基本的人権に対する侵害を回避し、防止するために必要かつ合理的なものとして、憲法21条に違反するものではな」い。

解説

判例は、本件集会を開催すれば、本件会館の職員や周辺住民等の生命・身体等が侵害されることが具体的かつ明白に予見できるとし、本件拒否処分は21条に反しないとした。

表現の自由からの派生

知る権利

表現の自由は元々表現の発信者側の権利として捉えられていた。しかし、マスメディアの発達によって情報の発信者と受信者が分離するようになり、受信者側から表現の自由の価値観を再構築する必要が出てきた。

そこで、生み出されたのが知る権利である。(もっとも、SNSの発展に伴い、情報の発信者と受信者の分離の幅は狭くなってきている。)

知る権利とは、情報収集が国家権力により妨害されない自由権的側面と、国家権力に対して情報開示を求めるという社会権的側面がある。また、情報収集をすることは国民が政治的意思決定に関与する前提で必要なことであるから、知る権利には参政権的な側面もある。

アクセス権

アクセス権とは、国民がマス・メディアを通じて自己の意見を表明する権利である。例えば、意見広告や反論記事の掲載がある。

判例は、サンケイ新聞事件(最判昭和62年4月24日)において、「具体的な成文法がないのに、反論文掲載請求権をたやすく認めることはできない」として、アクセス権について否定的な見解を示している。これは、アクセス権が表現の自由に対し重大な影響を及ぼすものであるという理由からである。

もっとも、法律でアクセス権を認めることはできると解する。法律でアクセス権を認めることができるということは、アクセス権は表現の自由から生まれた抽象的権であることを意味する。(これに対し、21条1項から直接アクセス権が認められれば、アクセス権は具体的権利であることを意味する。)

報道の自由と取材の自由

報道の自由

表現の自由の意義は、個人の思想や価値観を外部に表明することを保障することにある。しかし、報道とは事実を外部に知らせることである。そこで、報道の自由も表現の自由として保障されるかという問題が生じる。

これに関しては、報道は知る権利を保障するための手段として重要であるから、報道の自由は表現の自由に含まれ、21条で保障されるべきであると解される。

判例は、博多駅テレビフィルム提出命令事件(最大決昭和44年11月26日)において、次のように判事している。

「報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の『知る権利』に奉仕するものである。したがつて、思想の表明の自由とならんで、事実の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法21条の保障のもとにある」。

取材の自由

報道は取材・編集・発表という過程を経る。そこで、その過程の一部である取材の自由が、21条により保障されるかが問題となる。

これに関して、判例は、同じく博多駅テレビフィルム提出命令事件(最大決昭和44年11月26日)において、次のように判事している。

「報道機関の報道が正しい内容をもつためには、報道の自由とともに、報道のための取材の自由も、憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値いする」。

判例は、取材の自由は報道の自由と異なり、21条で保障されないとしつつも、21条の精神に照らし十分に尊重するとした。

【関連判例】

  • 博多駅テレビフィルム提出命令事件(最大決昭和44年11月26日)
  • 日本テレビビデオテープ差押事件(最決平成元年1月30日)
  • TBSテープ押収事件(最決平成2年7月9日)
  • 石井記者事件(最大判昭和27年8月6日)
  • NHK記者取材源秘匿事件(最決平成18年10月3日)
  • 西山記者事件(最決昭和53年5月31日)
  • レペタ訴訟(最大判平成元年3月8日)

スポンサーリンク

-憲法基本書

© 2024 予備試験・司法試験合格ノート