憲法の私人間効力
問題の所在
立憲的意味の憲法の概念においては、憲法の人権保障は国家権力と個人との関係を規律したものである。よって、国家権力でない者同士の紛争に憲法の人権保障の規定を適用することは想定されていない。
しかし、現代では国家権力ではないが、巨大な力を持つ団体(大企業、マスメディアなど)が存在する。
そこで、個人がこのような団体から人権侵害を受けた場合に、憲法の人権保障を及ぼすべきではないかという問題が発生する。すなわち、憲法の人権の規定が私人間にも適用されるかが問題となる。これに関しては代表的な学説として、下記がある。
- 無効力説
- 直接適用説
- 間接適用説
学説
無効力説
無効力説は、憲法の人権規定は私人間に適用されないとする。
この説は、立憲的意味の憲法の概念からすると当然の帰結であるが、国家権力類似の私人からの人権侵害に対して対応できないことになり、人権保障の意義の観点からは結論に妥当性を欠く。
直接適用説
直接適用説は、憲法の人権規定は私人間に適用されるとする。
この説は個人の人権保障に手厚いといえるが、私的自治の原則が害されるおそれがある。
※「私的自治の原則が害される」とは、私人間の取引(契約)に憲法が介入することにより、私人間の取引が硬直化するという意味である。「私的自治の原則」は民法で学習する。
間接適用説
間接適用説は、憲法の人権規定は私人間に適用しないが、私法の一般条項に憲法の趣旨を取り込んで解釈する。私法の一般条項の例としては、民法90条がある。この説は、無効力説と直接適用説の間をとった説である。
※一般条項については民法で学習するので、ここでは深入りしない。間接適用説は民法学習後理解できればよい。
但し、間接適用説を採用しても、下記は直接適用される。
- 投票の無答責(15条4項)
- 奴隷的拘束の禁止(18条)
- 両性の平等など(24条)
- 児童酷使の禁止(27条3項)
- 労働基本権(28条)
三菱樹脂事件(最大判昭和48年12月12日)
憲法の私人間効力の問題に関しては、三菱樹脂事件(最大判昭和48年12月12日)がある。
この事件で判例は、憲法の人権規定は、「国または公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障する目的に出たもので、もつぱら国または公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互の関係を直接規律することを予定するものではない。」とした。
ただ、場合によっては、「私的自治に対する一般的制限規定である民法1条、90条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によつて、」私的自治と自由・平等「の適切な調整を図る」とした。よって、判例は間接適用説をとっていると考えられる。
なお、この事件は、三菱樹脂株式会社に仮採用された学生が、在学中の学生運動歴を理由に本採用を拒否された事案である。
判例は上記の見解を採ったうえで「企業者は、・・・契約締結の自由を有し、・・・いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うかについて、・・・原則として自由にこれを決定することができるのであつて、企業者が特定の思想、信条を有する者をそのゆえをもつて雇い入れることを拒んでも、それを当然に違法とすることはできない」とした。
【関連判例】
幸福追求権
総論
幸福追求権は13条後段で規定された権利である。幸福追求権は「新しい人権」を認めるための権利と解される。
ところで、憲法第3章は国民の権利及び義務について規定しており、さらにその中の14条ないし40条で詳細な人権規定を置いている。この詳細な人権規定は人権カタログと呼ばれる。
そして、人権カタログに関しては以下が問題となる。
- 人権カタログにない人権、すなわち、新しい人権を保障すべきではないか。
- 新しい人権が保障されるとして、新しい人権は何条を根拠に保障されるか。
- 新しい人権はどこまで認められるか。
まず、1につき、新しい人権は保障すべきであると解される。なぜなら、社会は変化するので、人権カタログだけでは社会に対応できないからである。
次に、2につき、新しい人権は13条後段(幸福追求権)で導き出すことが可能である。
最後に、3につき、個人の人格的生存に不可欠なものである等、厳格な条件を満たしたものに限り新しい人権として認めうると解される。なぜなら、新しい人権を無制約に認めると人権保障の意味が希薄化するからである。
新しい人権に関して、ここではプライバシー権と自己決定権について説明する。
【関連判例】
- 京都府学連事件(最大判昭和44年12月24日)
- 指紋押捺(おうなつ)拒否事件(最判平成7年12月15日)
- 前科照会事件(最判昭和56年4月14日)
- ノンフィクション「逆転」事件(最判平成6年2月8日)
プライバシー権
「宴のあと」事件(東京地判昭和39年9月28日)で、判例はプライバシー権を、「私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利」と定義した。
この判例ではプライバシー権を自由権的側面から捉えている。「自由権的側面から捉える」とは、国家によって公開されない権利の保障、すなわち、「国家からの自由」を意味する。
しかし、情報化社会の進展した今日ではプライバシー権につき、自由権的側面だけでなく、請求権的側面からも捉える必要がある。「請求権的側面から捉える」とは、公権力に対し、プライバシー保護を求める権利の保障、すなわち、「国家による自由」を意味する。
よって、今日ではプライバシーの権利の定義について、自由権的側面と請求権的側面の両方を意味する、「自己に関する情報をコントロールする権利」とすべきという見解が有力である。
自己決定権
自己決定権とは、個人的な事柄について、公権力から干渉されることなく、自由に決定する権利をいう。
自己決定権に関しては、エホバの証人輸血拒否事件(最判平成12年2月29日)がある。
この事件は、宗教上の理由により輸血を拒否する意思を明確に表示していた患者に対し、医者が手術中に輸血をしたことに対して、当該患者が損害賠償請求をした事件である。
この事件で判例は、「患者が、・・・輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合、このような意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならない」とした。